概念空間の再構造化による創造性支援

相原 健郎
文部省 学術情報センター 研究開発部
〒112 東京都文京区大塚3-29-1
Tel: 03-3942-8594
Fax: 03-5395-7064
E-Mail: aihara@rd.nacsis.ac.jp

概要

本論文では,思考の制約を変更することで概念空間の再構造化による創造的な 思考を支援する方策について述べる.具体的なシステムとして,研究者の日常 の研究活動において書き貯められる研究メモを蓄積し利用する支援システムを 構築し,そのシステムを用いて実験を行った.

まず創造的思考のモデルを提案する.そして,人間の創造的な思考には,思考 の制約となっているものを変更することが有効である,ということに基づき, そのような思考の制約をユーザが変更することを支援するシステムを考察する. 本研究では,思考の制約のうち,記憶の想起の障害となっていると考えられる, 思い込みによる想起の障害,時間的経過・順序による制約を対象とした.

システムが扱う情報源として,ユーザの日常の研究活動において書き貯められ る研究メモを利用した思考支援システムEn Passant 2を構築した.ユーザは, ノートをスキャナでシステムに入力し,入力したノートに後でそのノートを見 つけられるように,ユーザが思いつくインデックスをつける,ということを日 常行う.システムはページ間の類似性をユーザがシステムを使用していない時 に計算しておく.この類似性は,ユーザがノートにつけたインデックスと,ユー ザが宣言するインデックスに関する関係を利用して算出する.ユーザはじっく りとノートを見直して考えたい時は,システムが提示するリストや類似性を距 離にしたページの空間配置を参照して,現在の問題意識に合った過去のページ を探して参照することができる.

大学院学生4人の被験者がシステムを継続的に使用する実験を行い,システム 使用の効果が観察された.

キーワード

創造性支援,概念空間の再構造化,思考の制約,想起

Enhancing the Creativity by Reorganizing the Mental Space

Kenro AIHARA
National Center for Science Information Systems
3-29-1 Otsuka, Bunkyo-ku, Tokyo 112, JAPAN
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Abstract

In this paper, we propose a method and its implementation to aid the process of creative thinking.

The objective of this research is to enhance the human creativity with computers. This paper deals with a scientific creativity. In order to aid the process of creative thinking, we have implemented a system named En Passant 2, which stores the user's research notes. The user can put his/her own mark as an index onto his/her notes in the system. The unique feature of En Passant 2 lies in the function to deal with indices and a time attribute of the user's thought explicitly. Using indices and time information, the system shows the user's notepads related to his/her awareness of the issues. The recall of his/her memories in present context makes a collision of two contexts, and that triggers the user's creativity.

We have carried out several experiments and show the results.

Keywords

creativity support system, reorganization of mental space, constraint of thinking, recall

1. はじめに

近年,計算機を人間の思考活動のパートナーとして利用することが考えられる ようになった.発想支援と呼ばれる研究がなされているが,これらの研究には, 既存の発想法をベースにして,それを単に計算機上に載せただけのものも多い. しかし,計算機が記号処理機械としてだけでなく,個人と外界を結ぶメディア としての機能や,対話的に振舞う機能,環境としての機能を持つようになった 今日,人間の創造的な思考を支援するために,我々は人間の思考過程において, どの部分を機械に行わせ,どの部分を人間が行ったらいいのか,また,機械は 何をすべきで何をすべきでないのか,などをひとつひとつ明らかにする必要が ある.

筆者らは,人間の創造的な思考を支援するために,創造的思考のモデルを提案 し,そのモデルに基づいて,日常の研究活動において書き貯められる研究メモ を蓄積し利用する支援システムを構築してきた.本論文では,そのシステムと, システムを用いた実験について述べる.

2. 創造的思考のモデル

そもそも人間の発想に有効な思考の枠組というものが解明されていないので, そのような枠組を用いた支援法には限界があると言える.一方,人間の創造的 な思考のモデルの必要性が指摘されている.以下に,既存の研究に基づいた本 論文での創造的思考のモデルについて述べる.

Fig. 1に,FinkeのGeneplore Modelを元 にした,本論文で用いる創造活動の過程を示す.Geneplore Modelは,図中の ConstraintsとGenerative Phase,Exploratory Phaseの関係で説明されている. 本論文での思考過程のモデルは,これにMeta-Constraintsを加え,更にWallas が分けた創造活動の4つの過程を重ねる.

Wallasの分類における準備期では,知識を収集し,仮説生成・検証を繰り返す ことによって新たな解を探求するので,制約に基づいた生成フェーズと探索フェー ズを繰り返す.その際,いかにして有用な知識を収集するかが大きな問題とな る.

Bodenは,創造的思考を概念空間の操作として考え,概念空間の変換による変 化が大きな創造性を生じさせるとしている.ふ化期では,Bodenのいう概念空 間の変換を起こすために視点の変更が必要となると考えられるので, Geneplore Modelにはない制約の変更を行うための機構(メタ制約)によって, 制約の変更が行われる.

啓示期は,ふ化期に行われた視点の変更によって新たな仮説を生成する生成フェー ズである.

実証期では,実証のための生成フェーズと探索フェーズを繰り返す.

3. 概念空間の再構造化を促す支援法

本論文では,人間の創造的な思考には,思考の制約となっているものを変更す ることが有効である,ということに基づき,思考の制約のうち,思い込みによ る記憶の想起の障害,時間的経過・順序に注目し,これらの制約を変更するこ とで創造的な思考を支援する.ユーザは,これらの制約の変更をシステムの使 用を通して促され,ユーザ自身が忘れていたことを思い出したり,関係ないと 思い込んでいたことを別の視点から見直すきっかけを得られる,と期待した.

システムの使用者は研究者とした.システムが扱う情報源として,ユーザであ る研究者の日常の研究活動において書き貯められる研究メモを利用した.これ は,

などを理由としている.

研究メモが書き蓄えられていくことに伴い,その研究者の思考空間が広がると いうことが期待される.このことを本論文では研究メモの蓄積効果と呼ぶ.そ して,システムがユーザである研究者に記憶の想起の障害となっている制約を 変更する刺激を与えることによって,ユーザの概念空間の再構造化や,概念空 間内でのジャンプが起きることを期待する.このようなアプローチで研究メモ の蓄積効果を増幅する.

4. 支援システムEn Passant 2

これらの方針に基づいて思考支援システムEn Passant 2を構築した.ユーザは, ノートをスキャナでシステムに入力し,入力したノートに後でそのノートを見 つけられるように,ユーザが思いつくインデックスをつける,ということを日 常行う.システムはページ間の類似性をユーザがシステムを使用していない時 に計算しておく.この類似性は,ユーザがノートにつけたインデックスと,ユー ザが宣言するインデックスに関する関係を利用して算出する.ユーザはじっく りとノートを見直して考えたい時は,システムが提示するリストや類似性を距 離にしたページの空間配置を参照して,現在の問題意識に合った過去のページ を探して参照することができる.

システムは,ユーザとのインタフェースであるWriting Pad 2とオフライン処 理をするMark Daemonから成る.Writing Pad 2は更にMain Window,Page Window,Adviserのモジュールから構成される.Main Windowには,ユーザの入 力したページを時系列に並べたリスト,ユーザがインデックスとして用いるマー クなどが表示される(Fig. 2).Page Window はユーザのノート1ページに相当するウィンドウである( Fig. 3).Adviserはページ間の類似性を距離にしてページのタイトルの アイコンを空間配置して表示する.Mark Daemonはそのページ間の類似性をオフ ラインで計算する.

5. 実験

実験は,大学院学生4人の被験者がシステムを継続的(1週間〜8ヵ月)に使用 することで行った.

ここでは,博士課程3年の大学院学生が8ヵ月にシステムを使用し,90ページの ノートを入力してある時点での実験について簡単に述べる.被験者は,博士論 文を執筆しているので関連研究を見直したい(記述洩れがないかを確認したい) という問題意識を実験を開始する際に持っていた.

5.1. 経過

(1) Adviserを開く

(2) 現在から100日前までに書かれたノートで,マーク“Norman”と “Vygotsky”がつけられたものを表示させる

(3) ノートが書かれた範囲を無制限にし,同様のマークがつけられたノートを 表示させる(Fig. 4

(4) Adviserに表示されたページ1のアイコンをクリックすることでページの内 容を参照する

(5) ページ1と内容的につながりのあるページ2〜4を順に参照していく

まず,被験者はAdviserを開いて関連研究と関係のあるマークのつけられたペー ジを表示させた.100日前までという条件で,表示されるページ数が多くなり すぎないように調整している.しかし,この条件では該当するページが4つで, 被験者は少なく感じている.そこで,時間の範囲を無制限にし表示し直した. 前回の表示より1つのページ(ページ1)が表示された( Fig. 4).2つの表示 の差であるページ1に被験者は注目し,そのページの内容を参照した.内容的・ 時間的につながりのあるページ2〜4を参照していった被験者は,ページ4を参 照した時に驚きの声をあげた.このページの関連研究の記述の記憶は被験者に は無く,かつ,現在考えている問題に関連する記述であった,ということであっ た.被験者はこのページを入念に読み返した.

5.2. 考察

実験後のインタビューで,被験者は,マークをつけている個所に関する記述に ついてはだいたい覚えていて,それは執筆している論文にも反映されていたが, その周辺に書いてあることはほとんど覚えていなかった,と述べている.自分 が過去にそこに書かれていることを思考していたことを,この記述を見てもはっ きりと思い出すことができない,とも述べていて,この記述を目にしたことで その前後の記述とあわせて興味深く読み返すこととなった.被験者はそれまで のページリストを多用した使用においては,これらの記述を参照することはな かったが,Adviserを用いることで,この興味深い8ヵ月前の過去の思考の痕跡 を見ることとなった.そして,この現在の問題意識で関連する過去の記述を参 照することによって生じた新たな思考が,執筆中の論文に反映されることとなっ た(Fig. 5).

ここで述べた実験を含む,行った全て実験を通して,

などのシステム使用の効果が観察された.

6. おわりに

HCI(Human-Computer Interaction)システム構築の際には,そのシステムの 有効性の根拠になる認知モデルを熟考し,かつ,システムを用いた本物性を持っ た豊富な実験が必要となる.本論文では,創造的な思考過程のモデルと、En Passant 2と名づけたシステムを紹介した.そして,システムを用いた長期の 実験について述べた.

参考文献

[1] 相原 健郎, 堀 浩一. 研究メモの蓄積効果を増幅する創造的思考支援シス テム. 人工知能学会 全国大会(第10回)論文集, pp.505-508 (1996).

[2] Boden, M. A. The Creative Mind - myths and mechanisms. George Weidenfeld and Nicolson, London (1990).

[3] Finke, R. A., Ward, T. B., and Smith, S. M. Creative Cognition. The MIT Press (1992).

[4] Hori, K. A system for aiding creative concept formation. IEEE Transactions on Systems, Man, and Cybernetics, 24(6), pp.882-894 (1994).

[5] Hori, K. A model for explaining a phenomenon in creative concept formation. IEICE Transactions on Information and Systems, E76-D(12), pp.1521-1527 (1993).

[6] Wallas, G. Art of Thought. Harcort Brace, New York (1925).